埼玉森林インストラクター会Forest Instructor Saitama

研修報告

平成17年度埼玉森林インストラクター会研修会
西川林業地とカヌー工房見学
報告・西村光男

毎年行っている埼玉森林インストラクター会の研修を、会員の親睦も兼ねて、有名な西川林業地で行いました。天気予報が雨の空模様は幸いにも山歩きの間は降らずにすみました。
<10月15日 西川林業地見学> 12:30に西武秩父線吾野駅に岩田会長・小林副会長以下14名が集合し、吉田健治氏所有の西川植林地の見学に向かった。途中で吉田さんが待ち受けて、林業地の案内をして頂いた。
西川林業地に着き、林道のそばで"立て木"の見学と説明を受けた。立て木とは不時の災害に備えるとともに子供や孫のために、伐採時に切らずに残して大径木に育てているもので、周りの100年生の木よりもひときわ立派な木である。記念撮影をした場所のように、林床は明るく、下層植生も発達しており、今問題になっている拡大造林地とは趣を異にしている。
西川林業地の植林はヘクタール当たり、3500~4000本が基本だったが吉田さんは3000~3500本にしている。 昭和時代は40から50年生で切ったが今は値段が安く、伐採と搬出の手間賃が高く、殆ど伐採しなくなった。
西川材の価値が高い理由として"記録の林業"がある。つまり、枝打ちなどの記録を取っておき、製材して4寸角などを取った時に節が出ない事が伐採前に分かるようにしているためである。 また、育林の初期段階で杉起こしを行うが、これは元木から真直ぐ育てるためである。元木部分が曲がっていると二の木からとなり、商品価値が下がってしまう。
昭和時代には密植して、時々間伐を行い収入を得ていた。この間伐材は建築の足場丸太として使われたが、今ではこの用途は鉄パイプに取って代わられている。この密植し、伸びすぎた林は間伐しても風や雪に弱く大径木に育てて行くのが難しい。
埼玉県の種採取林などを見学しながら道を外れて、かなり急な山登りとなった。登りつくとそこは"奥武蔵グリーンライン"であり、少し行くと関八州見晴台や顔振峠がある。
※顔振峠(かあぶり):義経と弁慶主従がこの峠を越えた折、あまりの絶景に何度も振り返ったことが地名の由来となったといわれている。見晴らしが良く富士山も望める。
午後3時になっていたが珍しい字の【“木”偏に“義”】(ブナ)峠に着き、ここで記念写真を撮って、ここからは下山となった。杉や檜の植林地の間に広葉樹林が現れるとインストラクター各氏は"ハリギリ"だ"クマシデ"だとにぎやかになった。やはり、樹種の少ない植林地よりも広葉樹林のほうが面白いのかもしれない。
木には背と腹という表現があり、太陽が照る方が背、その反対が腹というそうである。この時、ムササビの巣穴を見つけたが、穴の方角は必ず柔らかい北向きに開けると聞きました。
4時を回ったが、最後に"埼玉県 精鋭樹"を見学したが流石に立派な木でした。
吉田さんに別れを告げ一路、今日の宿泊の西山(せいざん)荘「笑美(わらび)亭」へ。 ここで、ヒノキ風呂を堪能し、皆でご馳走と美酒。そうこうする内に"きまま工房 木楽里(きらり)" のインストラクター鴨下さんと彼女の差し入れの美酒が到着。お酒と談笑で時間の経つのも忘れていたが、そろそろお休みタイム。
ところが部屋に入ろうとしたら鍵が掛かっていて押しても引いてもダメ。宿の人は既に帰っていない。困った困った。
二人部屋の隣室、ご夫婦インストラクターの谷村さんがベランダから行けるのではとの言葉に、ベランダを越えてガラス戸を引っ張ると開いた。ラッキー。一件落着で、ほろ酔いの面々は西川美林を思い出しながら夢の中へ。とんだハプニングでした。深夜に雨音が強くなって目を覚ましたがすぐに夢の中に、イビキの音も雨音とハーモニーで子守唄に。朝6時頃外を見ると、小雨が降っているが、空は明るい。これなら雨が上がるのではとの期待は的中。

<10月16日 林業経営の講義とカヌー工房見学>
8:30から西川林業経営者で元名栗村村議会議長の田島清次さんの「西川林業地の今昔・あれこれ」の講義が始まった。ここ名栗村や吾野は江戸時代に江戸から西の方角にある川ということから西川材といわれ、水が出たときに筏で木材を入間川から本流の荒川を通って江戸の木場に送った。立地的にも東京都心から60km圏内にあり、林業不振だが過疎化は起こっていない。尚、名栗村は今年(平成17年)1月1日付合併で飯能市となった。
木材の搬出は"千貫"と呼ばれる荷車や"木馬(きんま)"と呼ばれる木道上をすべるソリなどを使った。雑木林を切って薪や炭とし跡地に植林したが昭和30年代前半の燃料革命で衰退して行き、昭和40年代後半より木材市況にカゲリが出てきたことなど歴史の証人としての語りであった。
山仕事は地拵え→山焼き(その後、野菜を作った)→苗の植え付け。苗は3月初めから彼岸頃に植えつけるとその年の生育が良い。一町歩に3000~3500本と蜜植した。密植は足場丸太を取るためであった。杉起こしは真直ぐな木を育てるためでありビニールや針金を使った。枝打ちは10~1月頃が適期であり、春になって打った跡が黄色くなる(水が回る)と枝打ち時期が終わる。枝打ちは3寸(7~8cm)角に節が出ない大きさを目安に行う。この時、同時に除伐も行う。
名栗材は南向きで赤味が多く、油味が多い。つまり、硬く、艶が出る。尚、西向きは白太が多くなる。名栗は木材需要が低迷しているとはいえ、大消費地に隣接しているので、高品質木への需要があるが、一般的には搬出等の費用がかかり、40~50年生の間伐材でも山地に放置されているのが現状である。杉の50年生は3千円/石と殆ど林業者には残らない。
しかし、ここ名栗は入間川の上流水源部にあたり、国土の保全、水源涵養など森林の有する公益的機能の向上が強く求められている地域でも有る。
講義とその後の活発な質問も一段落して、10時過ぎに名栗湖のカヌー工房を目差す。名栗湖は有間ダムに堰き止められた人造湖であるが、この有間ダムはコンクリートの壁がそそり立つようなダムではなく、石を積み上げたロックフィルダムであり、なんだかホッとする。ダムを過ぎて暫く行くと名栗カヌー工房がある。ひげの館長に説明していただいたが、村営からNPO法人となり経営の苦労もあるが、皇太子がお出でになってから知名度も上がり、経営が安定してきたとのことでした。
昔ながらの丸太をくりぬいたカヌーも展示されていたが、キャッチフレーズに"西川材を使ってあなただけのカヌーを作ろう"という事で、製作を指導している(場所を提供している)。出来上がったカヌーは勿論であるが、仕掛品が沢山あった。つまり、カナディアン4m艇の場合、10万円のキットを買って自分で作り上げる(カヌーを買うと一般的には百数十万円する)。なお、木工品としてテーブルを作っている人もいるようで、奥さんのほうが思い入れが大きいとのこと。また、ここではバードウオッチングで"やませみ"も見られるとのことでした。
湖に下りるエレベータがあり、カヌーの操り方も指導しており、腕を磨いて自作のカヌーで川下りをするひともいるそうです。ロマンがありますね。
すべての研修を終え、お昼にみんなで手打ち蕎麦やうどんを食べて解散しました。

吉田健治さんの山で
“木”偏に“義”とかいてブナと読む峠にて
西川材を使ったカヌーに興味津々。