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研修報告 2003年7月13日 平成15年度埼玉森林インストラクター会研修会 荒川源流域に、鉄砲堰を知る 報告・木口明浩 「これは川ではない、滝だ」と驚愕したのは、オランダ人技師デレーケでした。明治時代に河川工事のために来日した彼は、日本の川をそう評しました。山国である日本は、川の幅が狭く距離も短いのでおのずと河床の勾配もきつくなるのです。このため降った雨は一気に川に流れこみ、流量が急激に増加するという特性をもっています。一方、海外の川はというと、いくつもの国をゆっくりと横断するスケールでとても対照的です。日本の川は、狭くて流れが速い点で世界的に極めて稀な存在なのです。 この特異な環境を巧みに利用したものが「鉄砲堰」です。鉄砲堰は源流域で伐採された木材を運び出す方法のひとつです。木組みのダムを設け、水をいっきに放流することで木材を下流に押し流します。 それでは、鉄砲堰とはどんなものか具体的にその仕組みを紹介します。 ●運材 林地または山土場に集材された木材を市場あるいは中継すべき交通機関まで運搬することを運材という。 運材方法にはトラック、索道や、森林鉄道等の陸上運材といかだ、船などの水上運材に大別される。 ●鉄砲堰 宝暦年間(1751~64)に奈良県吉野の池田五良兵衛が発明したと伝わっているが正確なところはわからない。 「越中式」と「秋田式」がある。大井川流域では明治30年代に木曽地方の人々が伐採・流送を行っていたため、 越中式を木曽式と呼んでいたというが、その後明治40年代前後から越中さん(木材流送技術者)が 中心になったため越中式鉄砲堰と呼ばれるようになった。それぞれの特徴は以下の通りである。
●中津川型の特徴 大滝村にいつ頃伝わったのかは不明で、大正時代に静岡県大井川の井川地域と交流があったことから、この時期に秋田式と越中式の両方が導入されたと考えるのが自然だろう。但し、本来の秋田式と越中式と比較すると異なっており、基本的には両者の構造を継承しながら融合した独自のスタイルが見られる。 ■2003年7月13日(土) 3年前に再築されたという鉄砲堰を再現するために、民宿「中津荘」山中氏の指導の下、貯水作業を行った。 先ず、大坊主(長い板)を中央に立てかける(写真1)。これを中心として左右対称にベラ板(鉄砲板)を横にしてはめ込み、上流からの水をブロックする。(写真2) 板は下から順に積み上げていく。このとき板と板の隙間から水が漏れてくるのを塞ぐための苔を採取するとよい。(写真3) はじめは面白いように水が貯まっていく。水位が上がるにつれて心が躍る。ちょろちょろと流れ出る渓の音とコマドリの鳴き声だけが聞こえる。静寂の中、堰は着々と水のエネルギーを貯めこんでいく。この力が一度に開放されたときの破壊力たるやいかなるものかと想像するだけで興奮してくる。人間はモノを作る動物だが、破壊することにも喜びを感じてしまうのだと思った。童心のいたずら心が刺激されるからだろう。(写真4)
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