埼玉森林インストラクター会
2010年1月




text by 神座 侃大


 私が三十代だった三十年ほど前、よく岩魚釣りに行く八ヶ岳のある渓でのこと。そこの林道の入り口には鎖が張ってあり、右側に「これより先一般車輌の通行を禁ずる」旨の下馬札が掲げてあった。鎖は簡単に外せる仕組みなのだが、いつも鎖の手前空き地に車を停め、歩いて貯木場のある広場まで行くことにしていた。徒歩一時間半ほどの距離である。そろそろアキアカネが里へ降りるかという夏の終わり、お昼頃広場に着いた。広場には木は積んでなく、都会地のナンバーを付けたワンボックスカーが停まっていた。車の陰で顔のよく似た親子らしい二人が、煙草を吸っていた。近づいて挨拶すると年配者の方が挨拶を返し、「下から歩いてきたのか」と聞くので、「規則ですから守らないと」と答えると、一瞬嫌な顔をした。車の中に根の付いたトリカブトがたくさん積んであった。この花をどうするのかと尋ねると、きれいだから庭に植えるのだという。これはトリカブトといい、花から根まで全て毒を含んでいるので、お孫さんがいるのなら植えるのは止めた方がいいと言うと、慌てて傍らの谷底めがけてトリカブトを投げ捨てた。慌てふためき放り出す格好は、なんとも滑稽であった。

 「トリカブト」
 キンポウゲ科の多年草。葉は互生、三出複葉、あるいは三出掌状に分裂する。花は鮮明な紫色、花弁のように見えるのは萼片で、五個ある。上側の一個が大きくカブト状、その下左右に半円形の萼片二個、一番下に細長い萼片二個。花弁は二個あるが、一番上の萼片に隠れて外からは見えない。

 世界では北半球に約三百種、日本に約三十種あり、平地から二千米の高冷地まで分布する。古来より世界的に数多くの毒殺に用いられてきた有名な毒草で、天然毒としてはフグ毒に次ぐ。毒成分は全草にあり、特に根は強力である。根は漢方では烏頭(ウズ)と呼び、その周囲に付く若い根塊を附子(ブシ)と呼ぶ。アイヌの使用していた矢毒は、この附子から採ったもので、毒性の特に強いトリカブトの自生地は秘密にしていた。鏃は鹿の足骨から作り、その窪みに附子を塗り込んで使用した。秘密にしていたトリカブトは多分、世界一猛毒なエゾトリカブトあるいは二番目に毒性の強いオクトリカブトであろう。

 古代ローマでは政治権力のためトリカブトを用いて継子を殺すことが多かったので「継母の毒」と呼ばれ、ドイツでは「悪魔の草」と呼ばれていた。日本では吾妻鏡に正嘉二年、1258年伊具四郎入道が、鎌倉建長寺前でトリカブトの矢毒を射られ、その日のうちに亡くなったと記されている。 その毒はアコニチンで致死量は2〜3ミリグラム。耳掻き一杯ほど。中毒症状は、延髄、脊髄に作用し、知覚神経麻痺から呼吸麻痺になり窒息死となる。毒は口からでも傷からでも全身にまわるが、トリカブトそのものはとても苦くて喉を通らない。微量の根を嘗めてみた人の話では、口中しびれて半日ぐらいどうにもならなかったという。トリカブトの若葉は、可食のニリンソウと間違いやすいので注意が必要である。 蜜蜂が集めたトリカブトの蜜は毒かどうか西口親雄先生にお尋ねしたところ、やはり有毒なので、養蜂業者はトリカブトの花の時期には、特別に注意しているとのことであった。その蜜が甘いか苦いかは聞きそびれた。


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